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子どもが愛する人の死を乗り越える手助け

人の死や暴力が、毎日のようにメディアで報道されています。小さな子どもたちをそのような報道から遠ざけることは、よいことですが、死について子どもと話すことが避けられない、または避けてはいけないときもあります。

小さな頃から、子どもたちは植物や昆虫など、自然にあるものの寿命が永遠ではないことを目の当たりにします。ですが、生と死に関する子どもの理解は、その子どもの認知の発達レベルにより異なります。家族やペットが亡くなった時に、子どもが大人と同じような反応を示さないことを不安に思う大人もいるでしょう。

乳幼児は、周りの人たちが悲しんでいることはわかっても、死の意味や重さは理解できません。未就学児の年齢層の子どもは、死を現実として受け入れられず、死んでいるのは少しの間だけで生き返ることができると捉えることもあります。長い間病気だった人が亡くなる時は、その人のことを心配したり、亡くなる時のための心の準備をする期間が長い反面、その人が死によって長期の病から解放されることに、周りの大人が安らぎを感じることもあるでしょう。でも、死が突然予期せずに訪れることもあります。周りの人々がショックを受けたり、悲しんだりしていることを、子どもは感じ取ります。

死について、子どもに正直に話すことがベストです。そうしないと、子どもが混乱する可能性があります。小さな子どもは、言われたとおりに世界をとらえるので、シンプルでイメージしやすい言葉で説明することが必要です。例えば、亡くなった人がお年寄りだったり、長い間病気だった場合は、その人の体のはたらきがストップしてしまって、お医者さんたちにも直すことができなかった、などと説明できるでしょう。イメージしやすく、シンプルで、基本的な説明をすることがポイントです。

親が深刻な病気の診断を受けた場合、家族の病気と共に生活する中で、子どもたちは変化に気づき始めます。例えば、お母さんが今までできていたことができなくなる、お父さんが仕事に行けなくなる、などです。このような状況で、子どもが関心を持って質問してくることがよくあります。そんな時は、子どもが親の病気について関心があるとシグナルを送っているのですから、親は子どもと話しやすくなるでしょう。親に何が起こっているのか、シンプルで基礎的な情報を子どもが得ることが大事です―その子どもの知りたいという気持ちを満足させるために必要なだけの情報量でよいのです。説明しすぎる、必要以上の情報を子どもに話す、病気であることを隠す、あることないことを言ってごまかす、などの対応は危険です。例えば、重病の人または亡くなった人がいたときに、その人がいなくなってしまった、長い旅に出た、眠っている、などのように説明してごまかすと、後で逆効果になる傾向が大きいものです。

小学生の時期に、死が永久であることについての子どもの理解は徐々に深まりますが、死を受け入れたり、原因を理解したりすることにはまだ困難があります。人生のサイクルや、死が永久であることを本当に理解することができるのは、思春期に入ってからなのです。

自分の感情について話しやすい家庭で子どもが育つと、傷ついたり、混乱したり、動揺したりした時にその感情を表現する能力が向上します。親は子どもの前で泣いてはいけない、と思わなくてもよいのです。喪失感を経験することは、いつでも起こりうることです。喪失感や悲しみのように対応が難しい感情を隠したり、死が起こらないふりをしたりして、普通のプロセスである死から子どもを守ろうとすればするほど、子どもが悲しみを乗り越えることを難しくしてしまう傾向が強くなります。

自分も死ぬかもしれないと、子どもが心配することもあるでしょう。そこで大切なことは、子どもの質問に正直に答え、安心できるオープンで安全な雰囲気を作ることです。ママやパパは誰かの死によってとても動揺しているけれど、その悲しみを乗り越えることができ、子どものことをこれからも安全にケアしていくことを、子どもに理解してもらうことが大事です。

特に誰かが亡くなった時には、信仰が心の大きな安らぎになる家庭もあるかもしれません。ですが、信仰や宗教に関係なく、時間をかけて誰かの死を乗り越えたり受け入れたりするプロセスはあるのです。